もち

お雑煮

雨の打つ音が好き

1番の理解者

光一さんは割と"隠す"人だと思う。

隠すといっては聞こえが悪いか、自分の範囲で収まることならば自分の内側に留めようとする人だと思う。

 

 デビュー後に番組で「今の仕事量は自分のキャパシティを超えていると思うか」に対して×と書いて「思ってもしゃあないですもん」と返した人でもある。

 

 今回の金スマで「そうであったらよかった」という光一さんの表情がなんとも言えない切ない顔でその後から言葉が出なかった。

 もちろん死という突然の別れ(くも膜下だったので)に対して誰も明確な気持ちの踏ん切りをつけれる人はいないと思う。でも3年も経つとその年月の中で良い意味で朧げになり、一つやふたつは折り合いがつくものだと思う。

 でもあの時の光一さんは、それこそ2019年の7月の時の顔に戻っていたな、と思う。

 あの言葉がどうしても心の底からふと漏れてしまった声のようで、多分これが光一さんの本心の一部。そして3年前のままの気持ちがそこにあったのだと思う。あの時の光一さんは多分、病室で(目を覚まして欲しい)とベットサイドで見つめていた時の光一さんで、目に映っているのはスタジオじゃなくてベットだったんじゃないだろうか。

 

 19年のコンサートのMCで(円盤になってたかどうか定かではない)、剛くんが「ドッキリだって言って欲しいよね」と言った時にすかさず光一さんが「ドッキリ大成功ー!ってね」って返したのを覚えている。いつものKinKiの間ではなくて本当すかさず、刹那の間に光一さんが返したその言葉が無駄にテンションが高くて、明る過ぎて、逆に痛々しくて泣きそうだった。(そもそもあの日の光一さんのテンションが全体的におかしかったのもあるけれど)

 「俺の携帯全然人から電話かかってこないから、まだジャニーさんの名前残ってる」そして、それがいつか消えちゃうんじゃないかな、でもそれまではまだ生きているように感じる。とも言っていた。そんなこと言われたら誰も光一さんの携帯に電話かけられないよ、電話番号知らないですけど。ドキュメンタリーでも、不思議とまだいなくなった気がしてない。いなくなってしまった実感と実感がないのが半々の感じ、とも言っていた。

 なんかその時、多分私が思っている以上に光一さんにとってのジャニーさんとの別れって壮絶なものというか、見たくないような傷みたいになってしまっているのだなあと思った。逃避本能というかなんかまだ心の底で受け入れたくない、その現実を認めたくないような部分が動いているんじゃないかなと。

 

 19年の12月あたり。思えば剛くんは強がりじゃないけれど、喪失の痛みや嘆きを表には出していなかった。多分それは隣で想像以上に落ち込んで喪失に耐えられていない人がいて、守ってじゃないけれど寄り添ってあげたかったからじゃないかなと思う。だから光一さんの何気ない一言きっかけとかで剛くんが言葉を詰まらせた時は、逆にこうやって発露していって欲しいし強がってたところもあったんじゃないかなと思ってたので安心もした。

 

 あれから3年、光一さんはジャニーさんがいない中での帝劇SHOCKは初めて、とか、この世の中の情勢をジャニーさんが見なくてよかった、とか、ソロコンの中でもジャニーさんを想い、Eternalにも重ね、いつもどの形でもジャニーさんを傍に続けてきた。3年というのは長くて、ジャニーさんがいない〇〇というのがひたすら続く。でも光一さんはジャニーさんがいないということに、話ができないということに全く慣れないまま、この3年間を過ごしてきたのだなと思う。

 愛する人の喪失を語って少しずつ過去に置いてきたり作品という形に昇華してその想いを愛や思い出に変えることができずに、そのままの痛みをずっと心の中に留めてしまっている。その繊細さ、ナイーブさが少し恐ろしくもある。

 

 ところで、光一さんの隣にいる人は自身の感情表現として音楽というツールを持ち、すぐ形にブラッシュアップすることのできる人だ。感情を切り離してパッケージにすることができる人、メッセージを受け取りそれを曲に仕上げるスキルを持つ人である。Slashなんて特に。心情をあえて「歌詞」という直接的なツールではなく曲といういわば婉曲表現にも置き換えることのできる人である。

 剛くんは、光一さん、そして2人のために「KANZAI BOYA」と「YOU」を作った。光一さんは素の自分を好んでないというか、何かするにしても作品や役というベールを一枚被った状態でする方が耐えられる人で。そんな人にとって、こうやって作品の中で少しでもジャニーさんを思い出したり、想いを寄せられる場があってよかったなと思う。KANZAI BOYAでジャニーさんを着るのも、そうして一つ一つちょっとでも光一さんの中にある喪失という記憶のガス抜き、傷への癒しになることができたのかなと思う。

 光一さんと同じくらいの時期同じくらいの濃度でジャニーさんと接してきて、その痛みが一番わかるのは剛くんだろう。「光一の最後の理解者でありたい」とは文脈は異なるけれど、少なくとも対ジャニーさんに関しては自分が1番の理解者だと思っているからこそ、「YOU」を、「友情の歌」と評したのだろうと思う。

 

 「ずっとジャニーさんの話をし続ける、そんなグループがあってもいいんじゃないかな」と言ったのはどっちだったか。2人が思い出を共有するように、忘れないように、ジャニーさんの話をし続けるのならばファンは永遠に聞くので、これからもお互いに共有できる記憶を持つ2人がお互いのそばにいますように。

 

金スマ2周目見てきます