もち

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雨の打つ音が好き

Slashに置いていかれる

 Slash    作曲 : 堂本剛 作詞 : 堂島孝平

 

 

 

 以前どこかでどんちゃんはしんどい気持ちの言葉をポップなサウンドに乗せられる人」(ニュアンス)というのを目にしたんだけど、まさにSlashもその一つだなと思っている。

 

 そもそもSlashは突発性難聴で入院中に剛さんが書いた曲.。その後に堂島孝平さんが歌詞をつけた曲先の曲。Slashに関して剛さんは「わざと明るい曲にした」と言っていたような記憶があるんですが、その中に少し織り交ぜた剛さんの思いを汲み取って歌詞にしているのかなあと思いました。

 

それが冒頭の

「ガードレールに引っ掛けられた誰かの帽子 誰からも忘れ去られたまま」

「自分みたいだって思った 世界にまるで置き去りにされた気分なんだ」

この部分、とってもSlashを聞いた時の気持ちを表してるなと思った。

 

 そもそもSlashって結構変則的というか普通ではない曲じゃないですか。AメロとBメロが5+5+1,3+3+1の奇数小節になってる。

 普通、曲って2の倍数でできてると思う。サビとかは16小節で構成されてることが多いと思います。(Slashは18になるのかな)時々奇数小節の曲もあって、例えば大きなモチーフを2回繰り返して最後に繋ぎのために1小節つけるとか、そんなふうに最終的に奇数になったものとかが奇数小節曲の大半な気がする。

 でもSlashってAメロのモチーフは5小節でBメロのモチーフも3小節ずつで、そもそものモチーフ自体が奇数なんですよ。

Aメロのモチーフは「ガードレールに引っ掛けられた誰かの帽子 誰からも忘れ去られたまま」。次の「自分みたいだって思った 世界にまるで置き去りにされた気分なんだ」でも同じ割り方をしている。

 なので偶数モチーフに慣れている私がSlashを初聴きしたときに、すっごい(いい意味での)違和感があって。

 

Slashという曲において行かれた感じがしたんです.

 

 私が慣れてるのは偶数だからAメロの最初の5小節で「あれ…?6小節じゃない」となり、Aメロが11小節なので「あれ…12小節じゃない」となり。Bメロも同様(というかBメロは刻んでるリズムのせいで加速感が増して行ったのでもっと置いて行かれた感が強い)

 Slashが私を置いて行って1小節先にサビに入ってしまう。先に行ってしまう。

 

この気持ち、まさに

「世界にまるで置き去りにされた気分なんだ」

ですよ。

 

20周年のデビュー日に向かってKinKiお祝いムードになって色々なプロジェクトが動いている中で一人病室にいなければならないという気持ち,それがこの曲構成に少し出しているんじゃないかな.そしてそれを少し堂島くんが汲み取って代弁している部分でもあるんじゃないのかな.剛さんから直接聞いたのか,このメロディを渡されて思ったのかは知らないけれど.

Slash自体があの時のことを表しているわけではないし,むしろここから続いていく歌詞とはほぼ関係のないように見えるけれど,だからこそこの冒頭のフレーズが少しこういう意味合いも込められてるんじゃないのかな,とずっと思っています.

そしてこれをかけるのは堂島くんしかいないよね,とも思う.KinKi Kidsではないんだけれどあの2人の友人としてプロデューサーとして近くにいた人だから,この「置き去りにされた」視点からも詞をかけるんじゃないかな.

 

 歌詞で意味合いを持たすのは普通だけれど(歌詞って言葉だし)小節数というかメロディ構成でなんか色々と感情を揺さぶられたのは初めてのことでテクニカルですごく衝撃的だった。

そしてこんな感じに「作品」としてワンクッション置いて仕上げて、昇華して表に出していく。そんなしなやかな"つよさ"があるところがとっても大好きなんですよね。

 

 Slash好きでたくさん聞いているうちに慣れてしまって、この奇数モチーフ小節による違和感というものがなくなってしまったので、もう一度記憶を消してSlashを聴けるなら聴きたいな。

 

 

続き書きました

 

tomoshb1.hatenablog.jp