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さよなら3月またきて4月

雨の打つ音が好き

Slashに切りつけられる

 

前、Slashの小節数のことに関してブログを書きました。

 

tomoshb1.hatenablog.jp

 

 

これは発売当初からずっと思ってたことで、なんかやっと文章にできるかなと思ってパッと書いたものなんですけれど、

「こんなことまで書いていいのかな」という迷いがずっとあったのでSlash自体に関しては冒頭の1フレーズについてしか書いていませんでした。

 

ここからは下はただの私のクソデカ感情置き場です。妄想も幻覚も甚だしい、自己責任で閲覧お願いします。

 

◻︎

 

 

slash、確かに現実で起こったことと直接的に結びつけることのできる表現は「世界にまるで置き去りにされた気分なんだ」の部分だけであって
その後に続く文は出来事ではなくて、その時の気持ちを抽出して言葉にして作品として一つのストーリーの形にしたものだと思ってる。

 

あの頃思っていたもの、例えばそれは孤独感かもしれないし、先が見えない不安、商売道具である耳を奪われた不安、何かしたいのに何もできないもどかしさ、焦燥感、苛立ち、やり場のない怒り…なのかもしれない

 

孤独感については先も言ったように小節数の部分で私は感じたけれど、焦燥感についてはBメロの後半から刻む音が大きくなる部分とか、サビの繰り返しの前とかモチーフの終わりにタムっぽい音を連続で入れている所(この音は要所要所で入ってくる、特に2番になると顕著)
あと2番のサビ前、短いフレーズで畳み掛けつつバックの刻みも細くなっていくところ
この部分、疾走感という言葉では片付けられないほどのなんか痛々しい音だなという感想を持つ

 

なんで先に曲のことだけ話してしまうかというと、この曲、多分剛さんがほとんど1人で作り上げた曲だと思ってるから。
クレジットにもmixとコーラスアレンジの方と堂島くんと剛さんしか明記されてないし、全編打ち込みなことからも多分殆ど剛さんが完成させてきて堂島くんに投げているのかな、と思ってる。つまり剛さんの思いが純粋に込められている部分。
堂島くんにこの曲を渡した時、剛さんが何を言ったかは知らないけれど、堂島くんはこの曲を聴いてあの歌詞を書いてきたから、曲が先だから。

 

メロディだけでもこの置いていかれる感(追いつこうと思っても間に合わない)と焦燥感満載なんだけれど、これを言葉にして表しているのが堂島くんの歌詞。
止まらない方位磁石 トチ狂った歯車」から感じられる異常なまでのスピード感
なのに僕の影は「あてもなく吹く風に黒く揺らめいていて 悲しい浮遊霊みたい」なんですよ

周りは進んでいくのに、自分は停滞していてどこに行けばいいのかも分からなくて、進めない、そこに居るしかない 


それも浮遊霊って……(絶句)浮遊霊って自分の死を受け入れられないとか、理解してない霊のことじゃん。受け入れられない現実に苛まれている様子を示しているのかなと思ってる。
後、全体的に散りばめられている「切りつけてくるよ太陽」「夕日に撃たれていた」「逆光が胸を貫いていく」「目眩するほど痛いよ」という、傷とか痛みとかを示す表現。
「いっそこの体からちぎって捨ててくれ」「愛に見えていた夢も見たくはない」とか、現実逃避な感じ。

 

いやなんて酷い歌詞なんだ(凄く好きです)

結構メンタルブレイクというか、鋭利な言葉を直接的ではないにしろ使ってきてるじゃないですか、堂島孝平大先生…
むしろ直接的な表現でない分じわじわくる遅効性の毒みたいで惨い

 

だからこの曲のタイトルが「Slash」なんですよ。

slash=切り傷、切りつけるとか、そんな意味ですけれど。

 

剛さんが堂島くんに、この曲の歌詞書いてよって言ってこの曲を渡す。こんな自暴自棄のようにも捉えられる攻撃的な激情的なメロディを渡す。一種の感情の暴露ですよ。まずこれが切りつけ行為。


堂島くんが、書いたけどどう?ちょっとはこんなこと思ってんじゃないの?と歌詞を渡す。これも切りつけ行為。

だからこの曲を作る過程がSlashだったんじゃないかなって思うんですよね。

中々にエッグい…お互いに内臓見せびらかして「どう?」ってしてる感じ(この場合どう?ってしてるのも弄られているのも剛さん側だけど)
でもこれがめちゃくちゃアーティストって感じがして好きなんです。思ったこととか感じたことをどんなことでもタネにして作品にしてしまえ!っていう(そのまま作品にするのではなくてタネにすることが大事)

 

んでこの感情切りつけ暴露大会、多分光一さんも受けているんだろうな。でもこういうの苦手そう
突発性難聴のことをずっとこの名前ではなくて「耳の調子が…」とか「耳のことが…」ってしたり、ジャニーさんのことも「居なくなってから…」とか、凄く直接的な表現を避けるじゃないですか。考えを歌詞にするのが苦手、とも言っているし。

 

だから例えばこの曲を光一さんが受け取って歌詞をつけたとしても、あの時感じたことがタネの一つにならなかったかもしれないし、感情切りつけ暴露大会も起こらなかったかもしれないから「Slash」っていうタイトルじゃない可能性が充分にあるよな、と思う。

 

あと「Slash」を光一さんが書けない理由はもう一つあって、それが剛さんがこの曲をKinKi Kidsに持ってきたからだと思うんです。

あの出来事は剛さんだけではなくて光一さんも巻き込む(という言い方はおかしいかもしれないけれど)べきだという考えがあったんだろう、あの時期ってめちゃくちゃKinKi Kidsだったし、KinKi Kidsって運命共同体なので、「俺たちの話なんだよ、お前もな」って(めちゃくちゃKinKi Kidsとは)(時期的にグループ活動が凄く活発だったということです)

 

Slashは置いていかれた、焦燥感、やるせなさ(という感情)が主題の曲だと思ってるけれど、この感情は剛さんのものであって光一さんのものではないんですよ。
だから逆に光一さんは書いちゃダメなの、書けないのこの歌詞。

Slashの「僕」が感じてる周囲の圧倒的なスピード、置いていかれる感の「誰に置いていかれたか」、この役割を持っているのが光一さんだから。

KinKi Kidsって2人なので「僕」からみた外界のモチーフになるのは光一さんしかいないんですよ。(剛さんが光一さんに置いていかれたとかそういう話をしているわけではないです)

だから、Slashに関しては書けないのが正解だと思ってるんです。さっきも書いたけど、書くとしたら別の曲になってる。

 

にしても剛さんが歌詞だけを人に託すのは珍しいですよね、多分。

同世代で、ずっと近くにいたからこそ感情切りつけ暴露大会を堂島くんに出来たんだろうし、圧倒的信頼関係がなせる技。堂島くんにしか出来ないと思う。こんなこと。

そんな人がKinKiの側にいてくれてめちゃくちゃビッグなラブって感じ。

こんな素晴らしい作品を作ってくれてありがとうという気持ち。


こんなに長々と書いているけれど、私は単純にSlash聴くと「やってやろうじゃねーの!!」みたいな駆り立てられて謎のやる気みたいなのが出てくるのもあってめちゃくちゃ好きなんですよね。

 

 

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