KinKi25年振り返り映像、遠くからなんか白い線迫ってくるなあ〜と思ってたらオシャンな1997で、その後の映像構成も良かったので(アニバyearにデザイナーさん付けてきた!ヨシ勝った!)と歓喜したりもして。 1997→2000→2005→2016→2020と順にジャケ写やライブの映像とかがモノクロで映る
やっぱりデザイナーがちゃんと付くと嬉しい
LFが出るまでは正直触れないつもりだったけれど
そして蒸し返すのもあれかなと思ったけれど
やっぱり全部言い切ってスッキリしたかったのでブログで失礼します
このまま手をつないでで声が漏れてしまったの
それはほんと仕方のないことだと思う
積年の愛をこっちも持ってるから、感極まって歌わなくなる姿を見てしまったらなんかしてあげたくなって声が漏れてしまうのはもはや性みたいなものじゃない?
だけどそこでハッ!と手拍子で流れを打ち切れたこと、理性のブレーキがかかったことは本当にすごいこと
そして突然の手拍子に困惑して??ってなってしまった光一さんは単に不憫……だけれどあの環境下で歌い切れた光一さんは本当に凄いと思う(いくらイヤモニしてたって地の拍手と反響音が凄そうだもん)
歌い終わった後開口一番「え、剛くん手拍子煽った?」「いや全く?」「自然発生か、いやこの曲で手拍子する?って思って。今歌ってるのって演歌か?って思った」の会話が困惑が大きすぎてもはや素だったのが、ちょっと癖にささる。
LFであの時なんで感極まったのか教えてくれたのが嬉しいし、その理由が本当に剛くんらしさが溢れてて、優しくて繊細な人だなあと思った。
直接会えない、一つの場所に集まるのも大変、触れられない、そういう時代になってしまっていることが本当に悲しくて、歌詞が叶わないことを思って歌えなくなってしまったのが、本当にその時その時歌詞を伝えようとしてくれている人なんだなと改めて思った。
そしてその後キャーのやつがあり、光一さんの「つまみ出すぞ」という至極真っ当な注意があり、空気を柔らかくするために「うちの剛くんです」(隣で剛くんニコニコ)があり。(このバランスが2人揃ってエンターテイナーだと思う)
でも有耶無耶にしてはいけないから「ちょっと昨日よりも声出ちゃってたね………まあうちの剛くんを近くで見たからしょうがないかー!」の発言をあのタイミングで入れた光一さんは聡明だな、とまた好きになってしまった。コンサートという楽しいしあわせな空間を、次があるように安全を守る必要もあるし、でも今いる人たちの幸せを壊してもいけない。
注意ばかりしたら空気は重たくなってしまうし、逆に無視するとこれから先もキャーが出てくるかもしれない。その板挟みの中で出したあの発言は最適解だったんじゃないかなあと思う。光一さんはさ、絶対に落とし所間違えないよね。
光一さんが挨拶で
「困難な時代ですけどそんなものを飛び越えるような、みなさんが僕らに届けよう届けようとしてくれるものを感じました。それが凄く暖かくてありがたいです。」
と言ったのも
剛くんが
「今日は僕たちの方からたくさんの愛を捧げるべきだったんですが、本当にたくさんの愛をありがとうございました。」
と言ったのも
光一さんが「2人の言ってる思いは同じところにあると思います」
と言ったのも
全部あの時のファンが想いを届けようとして声がちょっとでて、でもそれをグッと耐えてたあの時間のことを指しているんじゃないかなあと思う。2人のことだから気づいているかもしれないね。
昨日のamazing love、Dメロの「生きることを」「一緒に」「愛したいよ」が凄かったんです。
一緒の空間にいるのに愛しい人への声を我慢しなきゃいけない。それは辛いことだけれども、だからこそより一層今一緒にいることを愛したいし、遠くない未来また近くに行って声を出して触れ合える時代が来てほしい。そういう想いが詰まっていた歌声だった。
「our love!」で仰け反りながら全力で愛を叫んでいた2人の歌声が、私からは銀テープのように見えたよ
そんな、そんな愛しい空間への愛情がこもっていたような素敵なamazing loveでした。
KinKi Kidsのデビュー曲はミリオンをとるように、とジャニーさんの悲願を受けてキスミス、ジェットコースターロマンスを経て硝子の少年が出来たという。
ジェットコースターロマンスを作った達郎さん自身がこれではミリオンを取れないだろうと1週間待って作ったのが硝子の少年。当初は関係者から「暗い」「踊れない」という声があがり、KinKiの2人も不安にしていたそう。
「『絶対ミリオン超えの曲を』という難題を課せられて作ったんだけど、関係者の間では『暗い』『踊れない』って大ブーイングだった。そうすると、KinKiの2人も不安になるわけですよ。でもその時、僕が彼らに言った言葉は、『大丈夫。これは君たちが40になっても歌える曲だから』と。確信犯だった」
40になっても歌える曲というのはどういうことなのだろう。それだけ深みのある曲ということなのかもしれないし、歌い手が40にまで重ねた人生のおもさに耐えられる曲ということかもしない。40になっても歌っていて恥ずかしくない曲、そして22年(KinKiは18歳デビューなので)経っても色褪せずに生き続ける曲、というのが「40になっても歌える曲」の必要十分条件なのだろう。
90年代はユーロビートが主流のなか、昭和歌謡漂う硝子の少年はそれはそれは流行りの曲ではなかったと思う。流行りの曲、そしてこれから流行る曲というのはリスナーも幅広くなるし単純接触効果も増大するので、流行りに合致するというのは売れる要素の一つになる。
しかし流行りのものというのはいつか廃れ別のものに取って代わられる。その際に流行りの曲調で作られた曲はその時代に取り残される。いわば数十年後に「あ〜あの時代の曲調だよね〜」と懐メロに、時代を象徴する曲になる。
その点、硝子の少年は発売当初の時点から「昔っぽさ」もとい、馴染みのよさがあった。良い意味で時代の一要素にならずに埋もれず、時代という軸の上になく時の流れとともに風化せずに曲が「点」として生き続けていること。これが硝子の少年が「40にもなって歌える曲」の理由の一つだと思う。
ジャニーズのアーティストにとってデビュー曲というのは自分達の象徴になる曲である。
ジャニーズの曲は基本なんかしらのタイアップをつけて売り出されることが多いが、デビュー曲というのはどのグループでもタイアップがつかず(多分…)そのグループのためだけにある曲と言える。
あのグループといえばこの曲、あの曲のイメージ。というように、ジャニーズ事務所に数あるグループの中でデビュー曲というのは1番の差別化・キャラ付けを担う要素がある。
その中でも時代の象徴ではなくKinKi Kidsのデビュー曲という要素だけで輝き続けている硝子の少年は、名実ともにKinKi Kidsの名刺となり得ていると思う。
デビュー曲といえば明るさやフレッシュさなど10代後半や20代前半の年齢の煌びやかな輝きを前面に押し出したものが多い。が、硝子の少年は歌詞だけ見てもそしてMVを見るとより明らかだが、「別れ」「哀愁さ」そして「危うさ」が一つのテーマとなっている。
援助交際が横行する時代に向けての憂う気持ち、少年・少女期の壊れやすさ・傷つきやすさへのメッセージが題材になっている。こんないかにも若い頃にしか歌えないような歌詞、大人になると失ってしまう無垢さ、純粋さがこの曲の土台にある。
硝子の少年の歌詞は当時、歌詞作りに難航していた松本隆さんがブラウン管の中で歌うKinKi Kidsをみて「壊れやすいけれど、したたかそうな感じ」「硝子だ」と思ってそこから一気に書き上げたという。この「壊れやすいけれど、したたかそうな感じ」にKinKi Kidsの、少年性を謳いつつも人に聞き手に伝え聞かせ訴えかける力があるという本質・根源を見出したのだと思う。
いわば硝子の少年はデビュー曲であり、KinKi Kidsの根幹をも担っている曲だと思う。硝子の少年のインパクトが強過ぎてその後の路線に迷うこともあったと2人が言っていたこともあるけれど、デビュー曲かつKinKi Kidsの本質を突いている曲なので仕方がないというか。
証拠に硝子というワードは君たちから拾ったという松本隆さんに対して「ぶっ壊れそうな感じがあったんですかね笑」という光一さんは一見防弾ガラスのような強さを兼ね備えているけれど、硝子の少年を歌うときは昔からの壊れそうな表情だし、剛くんはもう一度ここに立ち止まって見てそこから今を見てみようと思わせられると評している。ターニングポイントになった曲の中にデビュー曲にもかかわらず硝子の少年が入っていた理由はここにあると思う。
25年前に生まれた「壊れやすさ」がいまだに目の前で歌われ、それを聞くことができるというのは奇跡に等しいものだと思っている。単純に25年続くというだけではなくて、本質がずっと変わっていない。40を超えても歌うに必要な純粋な少年性、それを失わずに未だに表現できること。それこそがKinKi Kidsの強みであり、らしさであり、コアであると思っている。
これでやっとDialogue Book読める……、そしたらまた色々と書き足したい
光一さんは割と"隠す"人だと思う。
隠すといっては聞こえが悪いか、自分の範囲で収まることならば自分の内側に留めようとする人だと思う。
デビュー後に番組で「今の仕事量は自分のキャパシティを超えていると思うか」に対して×と書いて「思ってもしゃあないですもん」と返した人でもある。
今回の金スマで「そうであったらよかった」という光一さんの表情がなんとも言えない切ない顔でその後から言葉が出なかった。
もちろん死という突然の別れ(くも膜下だったので)に対して誰も明確な気持ちの踏ん切りをつけれる人はいないと思う。でも3年も経つとその年月の中で良い意味で朧げになり、一つやふたつは折り合いがつくものだと思う。
でもあの時の光一さんは、それこそ2019年の7月の時の顔に戻っていたな、と思う。
あの言葉がどうしても心の底からふと漏れてしまった声のようで、多分これが光一さんの本心の一部。そして3年前のままの気持ちがそこにあったのだと思う。あの時の光一さんは多分、病室で(目を覚まして欲しい)とベットサイドで見つめていた時の光一さんで、目に映っているのはスタジオじゃなくてベットだったんじゃないだろうか。
19年のコンサートのMCで(円盤になってたかどうか定かではない)、剛くんが「ドッキリだって言って欲しいよね」と言った時にすかさず光一さんが「ドッキリ大成功ー!ってね」って返したのを覚えている。いつものKinKiの間ではなくて本当すかさず、刹那の間に光一さんが返したその言葉が無駄にテンションが高くて、明る過ぎて、逆に痛々しくて泣きそうだった。(そもそもあの日の光一さんのテンションが全体的におかしかったのもあるけれど)
「俺の携帯全然人から電話かかってこないから、まだジャニーさんの名前残ってる」そして、それがいつか消えちゃうんじゃないかな、でもそれまではまだ生きているように感じる。とも言っていた。そんなこと言われたら誰も光一さんの携帯に電話かけられないよ、電話番号知らないですけど。ドキュメンタリーでも、不思議とまだいなくなった気がしてない。いなくなってしまった実感と実感がないのが半々の感じ、とも言っていた。
なんかその時、多分私が思っている以上に光一さんにとってのジャニーさんとの別れって壮絶なものというか、見たくないような傷みたいになってしまっているのだなあと思った。逃避本能というかなんかまだ心の底で受け入れたくない、その現実を認めたくないような部分が動いているんじゃないかなと。
19年の12月あたり。思えば剛くんは強がりじゃないけれど、喪失の痛みや嘆きを表には出していなかった。多分それは隣で想像以上に落ち込んで喪失に耐えられていない人がいて、守ってじゃないけれど寄り添ってあげたかったからじゃないかなと思う。だから光一さんの何気ない一言きっかけとかで剛くんが言葉を詰まらせた時は、逆にこうやって発露していって欲しいし強がってたところもあったんじゃないかなと思ってたので安心もした。
あれから3年、光一さんはジャニーさんがいない中での帝劇SHOCKは初めて、とか、この世の中の情勢をジャニーさんが見なくてよかった、とか、ソロコンの中でもジャニーさんを想い、Eternalにも重ね、いつもどの形でもジャニーさんを傍に続けてきた。3年というのは長くて、ジャニーさんがいない〇〇というのがひたすら続く。でも光一さんはジャニーさんがいないということに、話ができないということに全く慣れないまま、この3年間を過ごしてきたのだなと思う。
愛する人の喪失を語って少しずつ過去に置いてきたり作品という形に昇華してその想いを愛や思い出に変えることができずに、そのままの痛みをずっと心の中に留めてしまっている。その繊細さ、ナイーブさが少し恐ろしくもある。
ところで、光一さんの隣にいる人は自身の感情表現として音楽というツールを持ち、すぐ形にブラッシュアップすることのできる人だ。感情を切り離してパッケージにすることができる人、メッセージを受け取りそれを曲に仕上げるスキルを持つ人である。Slashなんて特に。心情をあえて「歌詞」という直接的なツールではなく曲といういわば婉曲表現にも置き換えることのできる人である。
剛くんは、光一さん、そして2人のために「KANZAI BOYA」と「YOU」を作った。光一さんは素の自分を好んでないというか、何かするにしても作品や役というベールを一枚被った状態でする方が耐えられる人で。そんな人にとって、こうやって作品の中で少しでもジャニーさんを思い出したり、想いを寄せられる場があってよかったなと思う。KANZAI BOYAでジャニーさんを着るのも、そうして一つ一つちょっとでも光一さんの中にある喪失という記憶のガス抜き、傷への癒しになることができたのかなと思う。
光一さんと同じくらいの時期同じくらいの濃度でジャニーさんと接してきて、その痛みが一番わかるのは剛くんだろう。「光一の最後の理解者でありたい」とは文脈は異なるけれど、少なくとも対ジャニーさんに関しては自分が1番の理解者だと思っているからこそ、「YOU」を、「友情の歌」と評したのだろうと思う。
「ずっとジャニーさんの話をし続ける、そんなグループがあってもいいんじゃないかな」と言ったのはどっちだったか。2人が思い出を共有するように、忘れないように、ジャニーさんの話をし続けるのならばファンは永遠に聞くので、これからもお互いに共有できる記憶を持つ2人がお互いのそばにいますように。
金スマ2周目見てきます
こんにちは!
Twitterでたびたびジャニショをデコる方、硬貨ケースデコをしている写真が流れてきて、いつかやってみたいな〜と思っていた、ジャニショを買ってすぐ袋にしまうタイプ、ともしびです。
現在帝国劇場でEndless SHOCK -Eternal-が上演中でして
今まで現場にジャニショを持っていくという発想がなかったんですがここにきて大問題
SHOCKのチケットが映えなさすぎる
SHOCKがデジチケになって2年、裏面がJohnny &Aなのクソダサすぎる。もうちょっとなんかあったでしょ。あまりにも映えなさすぎない??
というわけでジャニショ持ってこうぜとなり、せっかく持っていくならデコろうぜ、となり急遽硬貨ケースデコの沼に足を踏み入れました。
この時、時刻は4/22(金)の18時前
現場は4/24(日)の17:30
時間が!!!!
金曜日はそのままスタジオ練だったので終わったのは21時過ぎ。そこから硬貨ケースデコというものについて調べ始めました。ネットってすごい。
↓参考にさせていただいたページ
とりあえず
・硬貨ケースをデコる
・王道はパールシールでぐるっと囲むやつ
・レースをつけたりもする
・接着+αとしてレジンやグルーガンを使う人もいる
ということを把握して就寝しました
セリアに行って買ってきました!!
ここにあるの全部セリア産。手芸コーナーにたくさんあって、特にラインストーンシールとかは色々な種類がありました。左上のレースやパーツはイヤリング部品として販売されていたものだったかな?完成への具体的なイメージもなく、あるもので似合いそうなもの買ってこ!の見切り発車で買いに行きました。
最大の誤算はグルーガン(本体)が売ってなかったということ。なんかレジン買ってますが結局使わなかったです。
とりあえず買ってきたなんやかんやを並べてあたりをつけてみます
今回デコるのはこの光一さんです。う〜〜顔がいいのとリッチでエレガントな赤が映えますね。
よし、じゃあ貼ってこ!!と、フリンジ付きレースから作業してこうと思ったのですが、なんと
両面テープが家にない
そんなことある?!レジン使ったことないしグルーガン持ってないし、両面テープないし接着する術をなにも持っていない!!マジかよ、マジかよと狼狽えながら接着は全てテープのりに頼りました。
30分くらい両面テープを探す時間になりましたが、なんとか形になり完成!!
材料としては上のセリアで買ったものに加えて
・金色のリボン(家にあった)
・12角形状のラインストーン(家にあった)
が活躍してくれています。
堂本光一、顔がめちゃくちゃいい
興奮が故の呼び捨て申し訳ない
デコるにあたり2時間くらい光一さんしかみていませんでしたがマジで顔がいい。デコる時間は合法的に推しの顔面だけをみていい時間になります。なんという幸せタイム(合法的…?)凛々しくて美しいのに瞳がすごく可愛らしくて本当に奇跡の顔面、生まれてきてくれてありがとうございます本当に。目がとびきり大きいとかではなくて必要最低限の洗練された美の顔面をしている。だから剛くんも「素朴な顔面」っていうけどまさにそれ、機能美。光一さんの作るコンサートも機能美だと思ってる。
最大の問題がこれでした。最初はフリンジ付けたい!!と思ってどうにかなんとかしようと思ったんですが、光一さんのファビュラス高級顔面に森ガールみたいな自然素材が似合うわけがなかった。ので諦めて家にあった金リボンで枠を作ることにしました。知ってたけど光一さんは死ぬほど金が似合う。体全体金銀財宝〜〜♪
久々に自分の手を動かしてなんやかんやするということをしてめちゃくちゃ楽しかったです。ピンセットでぐりぐりしたり配置考えたり………作業中は目の前にずっと推しの写真があるわけだし??ジャニショ一枚に対してこんなに時間かけて向き合うことなんてないでしょう。
お気に入りの一枚を自分だけの飾りつけで持てるし、材料から自分で用意しているわけだからすごく愛着が湧く。これは沼の予感がします。
反省点としては材料選びかな。やっぱり43になってもスパンコール衣裳を着こなす堂本光一の顔面にはそれ相応の材質が必要でした。多分色味や形状以上にPDに合わせた材質選びが大事なのかもしれない。でも今度はかわいこちゃんデコもしたいな!!もちろんデコる対象は顰めっ面ダブルピース光一さんです。
シール主体で色味も整えつつ剛くんを海の中に入れるデコもしたい。現場に合わせて作っていきたいのでその剛くんを使える現場をください!!
あとは現場に持っていくだけ!接着が全部テープのりなのがとてつもなく不安……落ちないでね……………
KinKi Kidsの高純度romanceについてくるピアノコン(2022コン)の、もしかしたら多分ついてくるんじゃないだろうかと考えているとあるanniversary前の映像について、記憶だけでめっちゃ壁打ちしとく。今のうちに。
本当はふせったーでやろうと思ったんだけれど、色々あってこっちの方に………まだコンサートの感想も書き残せてないのにね………
※暗いよ!!!
KinKi25年振り返り映像、遠くからなんか白い線迫ってくるなあ〜と思ってたらオシャンな1997で、その後の映像構成も良かったので(アニバyearにデザイナーさん付けてきた!ヨシ勝った!)と歓喜したりもして。 1997→2000→2005→2016→2020と順にジャケ写やライブの映像とかがモノクロで映る
やっぱりデザイナーがちゃんと付くと嬉しい
なんかもうどうしてもどうしようもないんだけれど、去年はずっと「ジャニーズ25周年問題」が頭の中をチラついてた。ジャニーズグループは20周年から25周年までに必ず悪いことが起きる、というジンクスのこと。この言い方が好きじゃない人がいるのは知っているけれども、ファンにとってはグループがなくなる・いないことの点においては同じなのでこの言い方をします。
それもここ数年は、「自らの意志で活動休止・解散」を選び取ったグループ、かつ、推し(自担)だったので本当に本当にずっと考えていた。もはや夏を超えたあたりからは25周年が怖い、としきりに呟いていたと思う。
色々考えた。自らグループをやり遂げること、なぜそうするに至ったか。40代ジャニーズのセカンドキャリア。「ジャニーズ」という名前が障壁になること。KinKiは20代からセカンドキャリアを歩み始めているし、障壁ともうまく付き合っている気がするし、何よりもソロという「自分の場」を持てているのだから大丈夫だろう……。(光一さんにはサードキャリア問題が出てきているけどここでは関係ない)じゃあなんだろう、やっぱり健康でいることを祈るしかないよな(尻目にツアーの合間に平安神宮やる剛さん、3ヶ月89公演やりながら打ち合わせとかもしてた光一さん)うわぁああああぁあああああん2人とも健康でいて……!!!(しかしステージが好きなオタク心)2021年の後半はずっとそんな感じだった。
実際カウコンで25周年メドレーを(anniversary1曲だったのにメドレー表記とは)(メドレー表記だったよね?)歌われた暁には、anniversaryに泣く自分と、とうとう25周年がKinKiの番になってしまったの両方の意で泣いた。
この時会場本当にシン…として(多分)涙ぐむか感慨深く見てたのに、2020の文字の時に1番どデカく映ったのが「鏡餅と橙」であの瞬間だけウッwwwと皆さん笑いが堪えられなかったのが凄く面白かった。なんで「鏡餅と橙」を1番に持ってきたんwww
ハピグリ/シンクリのジャケ写の顔面の威力半端ないよね。
KinKi2人だからさ、特に初期とかは顔面ドアップが多いから、2人の変わってるようで変わらない顔つきとか、髪型とか、変わっていく目つきとか、ずっと追えるの。まるで1人分の人生を振り返ってるみたい。わたしのムービーへの最初の感想がお葬式みたい………(本当悲観的オタクで厄介)だったのでね。
当たり前だけれど、2人で振り付けを作ってやった時の2人も、嬉しくなっちゃってMCでキスしたりした2人も、シャンプーの向きでお前とは絶対結婚できへん!ってふざける2人も、カメラの前で自慢の大胸筋でオシオシする2人も、全部同じ脳みそなんだよなあ。
2016→2020の移り変わるときに1番大きく出てたのがウィアコンslave makerで背中合わせのギターの剛・歌う光一のソロの待ち合わせの瞬間で、やっぱりあれは転換期だったのだなと思い。あの時ジャニーさんがKinKiのステージで今までやってきたソロのこともやってみなさいと言ってくれたことに本当に感謝
この時ピアノの薄荷で、多分その尺では弾いてないんだけれど、「君だけが僕が選ぶ人 竜巻みたいな時代に生きても 君となら上手にやれるさ」が脳裏によぎって、もうなんか末長く2人で一緒に歌を歌ってて欲しいし死ぬ時はステージの上で二人同時に死んでほしい
正直KinKi Kids21年目からのテーマソングというかキーパーソンになってると勝手に思ってる薄荷キャンディー
— ⛄️ともしび⛄️ (@yui03426623) 2022年2月28日
竜巻みたいな時代に生きても君となら上手にできてる。そんな僕と君とでKinKi Kids。
— ⛄️ともしび⛄️ (@yui03426623) 2022年2月28日
まあ直接的に歌詞を被せるのは無粋かなと思いつつ、メッセージ性で構成してきたTKコンのラスト2曲目だったこと、この前のピアノコンで25年の足跡と共にこの曲が静かに力強くひたむきに奏でられたことから重ねてしまう、どうしても
— ⛄️ともしび⛄️ (@yui03426623) 2022年2月28日
千と千尋の神隠し。3月3日ひな祭りの日に行ってきましたーー!!
2/28に萌音ちゃん回のプレビューがあり、3/1,2は環奈ちゃん回で今日が初日ラストという日でした。ナイツ初演の時もプレビュー二日後の初日にジョン来てて、今回もいらっしゃるかな〜と思ったら普通にロビーで行ったり来たりしていた!笑
(左端にかろうじて映るワインレッドのニットがジョン)これ撮ってたら目の前をジョンが何往復もしててええええ??!!!ってびっくりしちゃった!!! ジョン普通にタンブラー片手に歩いてた pic.twitter.com/uPgF1usRfr
— ⛄️ともしび⛄️ (@yui03426623) 2022年3月3日
心の中で両手を合わせて拝み倒しました(会釈くらいしかできなかった)
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千と千尋の神隠しって舞台にできるんだな……と驚いたのが正直な感想。
映画の方を最後に見たのが何年前?という感じだったからうろ覚えだけれど、流れとかはまんま映画通りだったと思う。あと映画通りだなあと思ったのはキャストの皆さんの声でした。
千尋は千尋の声だったしハクは完全にcvが入野自由だった。リンと千尋ママもそうで舞台を見ているはずなのにキャラの声が耳に入ってくるから頭が混乱しちゃう。再現度がすごい。そういう意味では本家の夏木マリさんとWキャストになってる朴璐美さん(湯婆婆)なんてプレッシャーとか半端ないだろうにもう本当すごかった!悪意に満ちて豪快な湯婆と包容力があって器の大きい銭婆の演じ分けが光輝いていた。
多分見た人の100人中100人がセットがすごいというだろうなあ、と思うくらいセットが豪華でお金のかけ具合が半端なかった。帝劇の上に迷路が出来てた。パンフレットにセットの写真があるんだけれど載せていいのかな…?5月くらいになったらそっと追加してるかもしれない。
美術担当はナイツテイルと同じくジョン・ボウサーさんで、ジョン・ケアードと共有している信念「観客の想像力に委ねる」を思う存分味わえました。最高。ナイツとの大きな違いは観客を板の上に巻き込むか巻き込まないかでナイツは巻き込む型、千と千尋は観せる型かな。
メインセットは盆の上に油屋の建物があり、そこから一本廊下が伸びているのだけれど、これだけで油屋の場所全てを表現してしまえるのだから面白い。盆が回転するのに合わせて千尋が動いて部屋の中に入ったんだな、とか。あと序盤の千尋が湯婆婆を訪ねるところでコミカルにエレベーターがどんどんと昇っていくシーンでは、動いているのが照明だけというシンプルさ。油屋の出口にある梯子は油屋の上層階の外につながる梯子になるし、こういうみたてというか、余白を観客自らの想像力で描け!というのは楽しくて興奮する。
じゃあ舞台は映画の内容をコンパクトに板の上に収めたものなのか、と思いきやそうでもない。
個人的に素敵だったのが二幕で6番目の駅に赴くため電車に乗るシーン。うるさく騒がしい油屋の場面とは一転して舞台の上で誰も何も喋らない。人外たちに囲まれてただただ電車に揺られていくシーン。スクリーンには夕日に照らされる海が映り、影になった人型が次々と電車から降りて、千尋はハクを助けるために銭婆のところに向かう。この物語の一番谷でもあるシーンはこの時の千尋の孤独や背負っているもの、不安を示しているなと思った。物語として動きがある部分では決してないんだけれど、あの時間を観客に体感させるにたっっぷりと時間をかけたところ、本当に大好きです。
舞台の板の上で流れる時間と観客が実際に体感している時間。そこをどうすり合わせて描くかが舞台の面白いところの一つだなあと思っていて、今回はこのシーンでこの時間の融合を感じられた。
セットだと上手、下手の回廊もすき。今回センブロのほぼほぼドセンから観劇していたので袖とかが一切見えてないのがあるのかもだけれど、回廊を置くことで舞台袖までが舞台だった。見えてないけれど回廊の奥にも油屋の部屋や空間が広がっているのが見える。これは楽しかったなあ……あとこれは帝劇以外の舞台でみたらまた違うのかも。個人的には一番博多座で見たいです。だって博多座なんて客席から出てもそこは油屋(広義)じゃん?絶対楽しいに決まってる。壮大なセットと対比にパペットはかわいい。神様たちは衣装さんの腕の見せどころでもあったし、坊とかは小さくて笑
クルクルクルクルステージング
ジョンケアードの頭の中はどうなってるんですか???転換とキャストの動きがこの舞台めちゃくちゃ激しいと思う。場面として場所を動かさないといけないところとか、パペットだけを移さないといけないところ、千尋が走っていくのを描かないといけないシーン。色々な要因で移動が多くてキャストと装置の転換と小道具の移動全てが複雑に絡み合ってる。これはアンサンブルはじめキャストの人も大変そう……笑
で、この場面を動かしているのが人なのが好きなポイント。盆の動きに合わせて転換はしているんだけれど、こうなんというのかな……人の動きへの誘導が上手い?確かにこの舞台にはたくさんの機械が使われていて、照明とかもふんだんに用いられているんだけれど。でもその中で生きている人同士の反応をすごく大切に描いて演出しているからすごく人の心を感じて、ジョンの演出は好きだな〜とまた思う。メカニカルなんだけれどもアナログで人間的というか。その狭間というか。そして同じく映画と舞台の狭間というか。舞台の上でできるであろう表現の地続きに、アニメでないと出来ないだろう表現(のみたて)が目の前で起きていたので、現実と空想の境界が曖昧になるというか夢を見ているような心地だった。
音楽は基本的にはサントラに忠実という記憶だったけれどどうだったかな!みんなで雑巾掛けする時の動きと音楽はあー!これジョンとブラッドのタッグ感半端ないー!と思った。そういえばオケはオケピにいなくて、え?そこにいたの?!となるところにいてちょっとびっくり。確かに帝劇の奥行きってもうちょっとなかったっけ??と思ったんだけれど、途中から物語にめり込みすぎてそんな詮索をしなくなったので。
おくされ様の中身がよきかな……と言って飛び回るのも良かったなあ。突然のフライングでびっくりした(パペットは人じゃないから客席上空のフライングできるもんね)完全なストプレ(なのに折井さんいるんだ?とは思った)と聞いていたんだけれど、要所要所で歌が差し込まれていて、まさかの歌も聞けて大満足。
冒頭に書いた通りキャストとキャラの一致性がすごかった。みなさんこのキャラがこの人じゃないとだめだなと思わせるほどの一致ぷり。
まず萌音ちゃん。小柄な上に声を幼く作ってたのでカテコでお話しするときまでもう萌音ちゃんが24歳だということを忘れていた。大人の女性なんだけれども、舞台の上にいる千尋は10歳だった。ジブリあるあるのあのバタバタした動きも本当年相応にしていたのだけれど、舞台として綺麗に見せる、というのもされていてにっこり。肘から先の動きが私は好き。
三浦さん。ダブルピルエットからハクに変わるシーンがとっても綺麗だった。ダブルピルエットというか私にはトリプルアクセルにみえました。本当はどうなんですか。入野さんの言い方をものすごくトレースしようとしているようにも感じた。佇まいとか、一つ一つの動作が美しいですね………ハクがコロコロ…………試験終わったら源氏双騎見ます(源氏のどっちかわからないけど絶対あれは髭切でしょ。兄者だよあの空気は)
カオナシもとい辻本さん。ダンサーさんとお聞きした。カオナシは動きがない分いざ動いた時の奇怪さの威力がものすごく、体を自在に操れるダンサーさんならではだなあと思った。個人的にはもっとカオナシのダンスいっぽ手前動作見たかったな!お、これからダンスする?と思ってしなかった部分があったので
正直これが初日(正しくはプレビューあり)(でもゲネプロできなくて実質プレビューがゲネプロだよ、とジョンが言ったらしい笑)なの??と思うくらいだったので、Wキャストも、そして時間を経て深まったカンパニーがどういう演技をするのかがすごく気になるところ。なんたってまだ始まって4日目だし、これが7月まで続くんですよね。
カテコで萌音ちゃんが「7月まで続きます!ふとした時にどうしてるかなー?頑張ってるかなー?」て思い出してください」と言っていて、本当に長旅だと思うし私は多分時々そう思うでしょう笑「色々な事情があり、初日が遅れたりする舞台がある中でこうして予定通りに初日を迎えられたことを幸せに思います………(中略)7月までずっとみんなで走り抜けたいです!」と萌音ちゃんが帝劇の真ん中で座長としてお話しされてて、グッときた。この状況下の中では(個人的には)7月まで誰もかけずにみんなで走り続けるというのは夢物語に近い(と思ってしまうこの状況が悲しい)と思うので、だからこそ千と千尋カンパニーのみなさんが7月まで無事にたどり着けますようにーーー!!良いものを作り上げて、見せてくれてありがとうーーー!!
(髪切ったその日の晩に書いたものです)
光一さんが髪を切った
光一さんがとうとう髪を切った
衝撃でした。しばらく喪に服させてください。
https://www.instagram.com/tv/CaR5YNgpHzZ/
↓ こちらはまだ何も知らないインライ開始1分前のツイート
どうする?これでインライに出てきた光一さんが短髪だったら
— ともしび⛄️⛄️ (@yui03426623) 2022年2月22日
短髪の光一さん、ダイヤモンドのように冷ややかな美しさを併せ持つ男前で、ちょっとまだその美しさを受け入れる準備は出来てないのでもうちょっと待ってほしい
— ともしび⛄️⛄️ (@yui03426623) 2022年2月22日
お昼に投稿された写真が若干フラグ臭してるなと思いつつ
インライの向こう側の光一さんが長髪なことにホッと胸を撫で下ろしたんだけれど
「今日のメインイベントなんですけれども。何をしようかっていうのは……実はですね、今この場で髪を切ってやるーー!!と思った訳です。ハハ」
と銀色のハサミを片手に取り出しながら微笑む光一さん。
絵面だけ見るとなかなかに猟奇的……である。
「じゃあ髪切りますよ〜」「とりあえず、もう切っちゃいましょうね。切ったら配信終わりますんで今日は」「ここを…とりあえず顎ラインまでは切っていいって言われたんで」
とサクサクっと切っていこうとするのに
「ちょっと…ちょっとねえこれ大丈夫??ほんとに?ここきていいから。教えて」「とりすぎ?」「ほんとに?ほんとに大丈夫かな??」「good??good??」
と、いざ切る直前になって急に不安になるの可愛い〜〜!!
じゃなくて!!!!
いや、わかってましたとも。SHOCKは短髪だろうなってこと。そして伸ばしてるのは楽だって思ってるからなのかな、とか思ってましたよ。
でも!!あまりに別れが突然すぎる!!!!
いや、配信直後は光一さんとうとうやりやがったな!!(大歓喜)とか、
断髪式(セルフ)のはずなのに大平さんに「髪の毛持って持って」ってしてるの、釣りに行った時に「餌つけて、釣れた!魚取って」って言う時から光一さん変わんないね〜〜!!!かわいい!!甘えん坊さん!!!ってにはにはしちゃった🥰☺️🥰
— ともしび⛄️⛄️ (@yui03426623) 2022年2月22日
髪の毛掬うのが難しいんだよ?笑#堂本光一インスタライブ
鎖骨ここだっけ??とか言ってる時とか特にブラの気配すごかったですね………育ってますね…ブラの気配凄かったね…
— ともしび⛄️⛄️ (@yui03426623) 2022年2月22日
んであの私たちが断髪式見たいって思ってるの分かられてるの、完全に堂本光一の掌で遊ばされててちょ〜〜〜楽しい 分かられてるの最高じゃん??見せよ!って思ってくれてありがとう
— ともしび⛄️⛄️ (@yui03426623) 2022年2月22日
とか冗談いえたり笑えてたんだけれども、いざインライが終わり「光一さんの髪の毛が今短くなってる」ということを認識して急にロスになってしまった。
インライ中は良かったんです。光一さんが一房一房髪を切るたびに
「ウェーーーーーイ!!!!」「気持ちーーーーい!!」「結構行ったよ??マジでマジでこれいい???ウェーーーーーイ!!」「これ毎回思うよね、将来のために取っておこうかなとか……」「うっっわきっもちいい!!」「やめとく?うぉりゃって切りたくなる」「ウワッツはっははっははっは!!」って愉快に楽しそうにきってこっちにも笑いが伝染してきて、映る顔も可愛いし、切った髪をこっちにバサバサ見せてくれるし、可愛いし。
むしろ光一さんのこのキャッキャ楽しい様子がなかったら、喪失感でしばらくの間お暇をいただくところでした。楽しい様子でショックが緩和されていた。
ありがとう、配信をすることで救われた命がある…
にしても、2018年の頃のバッサリカットもリアタイしてて、その時は「光一さんまた面白いことやりやがったな!」(大歓喜)とロスるほどでもなかった。なのに今回はなかなかにロス。
なぜか
サラストハーフアップだけの2018と違って、髪の毛の長さもあいまったのか2021長髪は
・ゆるまきハーフアップ(いつものすがた)
・編み込みポニーテール(Mステのすがた)
・お団子ヘア(SHOCK会見のすがた)
・サラストハーフ(初耳学のすがた)
とバリエーション豊かだった。しかもインスタによる自撮りの洪水。
長髪最期の日には投稿の方にもノンセット本光一さんがやってきた。
ここまできたらもっと色々やってほしい!と思うのがおたくの性。
編み込みポニーテールはもっと見たかったし、ただおろしている姿やワンレン、サイドテール、もっとみたい姿がたくさんあった。
SHOCKのパンフ撮影したら、切った髪の毛もう一度くっつきませんか???
光一さん「あまり柄にでもないこというけど。なんとなくさ、こういう切ったもの見ると、あーあの時のあの瞬間はこいつと共にいたけど……って思うことないっすか」
柄にでもないと言ってたけど私としては光一さんらしい、やっぱり寂しがりやさんなんだな……とほっこりした
んだけど
そう、あまりにも思い出が多すぎる。
髪の毛が伸びた一年半(光一さん談)つまり2020年の9月の梅芸eternalから今2022年2月まで、本当色々なことがあった。(走馬灯のように蘇る記憶たち)
現場感想だけでこれ(一個だけ違う)(まだ書いてないのもある)
2月のeternalでちょっと襟足伸びて、4月のスクエニ会見で結構伸びてて、鬼越トマホークさん回から結び始め
ハーフアップでボンテージや革パンに狂王衣装を着て踊ったPLAYFUL
自分の襟足をちょっといじるインライ
どんどん地毛も長くなってくのがわかるナイツテイル
念願のハーフアップでのコンサートになったジャニフェスカウコンそしてKinKiコン
2021年の光一さん、全部髪の毛で経過を追えてしまう。
いついかなるどんなときも光一さんの髪の毛は光一さんと共にいたんだ。
つまり光一さんのハーフアップできるくらいの長髪は
2021年の象徴
なのかもしれない。
その、2021年が詰まった、いつも一緒にいた髪の毛が切り落とされるということはすなわち、2021年のあの時のあの瞬間の光一さん(の一部)がいなくなったということで……………
うわあなんだろうこの気持ち……死別……失恋…?
なんだろうこの喪失感………………自担が結婚した時の担降り……?担降りか……!!!
ええと私、人生で初めて担降りブログを書いています。
2022年2月22日をもって私は長髪本光一さんの担当を降りることにしました。
降り先は
短髪本光一さんです。
どうぞよろしくお願いします。
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とまあ冗談はさておき
とまあ冗談はさておき
・楽しく髪の毛を切る光一さん
を見ることなく短髪をサラッと迎えてしまったら、長髪の亡霊になるところでした。
ありがとう…ファンに見せたろ!と思ってくれて……
最期の日に自ら櫛をとおす姿(なんで空中に叩きつけるようにとかすの??)、自らおろした髪をとってポニテする姿を見れて無事昇天しています
うううう………………長髪光一さんさようなら…………………………光一さんの髪の毛さようなら
一晩経って冷静に考えると
痛んだ髪先を見ながら「あーあの時のあの瞬間はこいつと共にいたけど」と思う感性をしているからこそ
ファンもこの長くなった髪の毛に、その分たくさん思い出が詰まってるんだなと思って
だから断髪をリアルタイムで見せてくれたのかなと思っちゃいます。
そう思ってくれてるのならば嬉しい。私はその光一さんの繊細な感性一生愛してく。