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雨の打つ音が好き

コウイチという孤独で,走り抜いてしまった愛おしいスターについて

Endless SHOCK映画ありがとう.おかげで今一番コウイチへの解像度が高いと思うのでコウイチについて記憶に刻み込むために書きます

ほんとは演出とかタツヤのこととかも入れ込んだSHOCK感想にしたかったんだけど,コウイチについて書きたくて書きたくて独立させることにしました

大好きだよコウイチ……幸せになって…(もう死んでるし彼は幸せだと思っていそう,辛い)

 

頑張って堂本光一というワードと演出面とかに触れず,ただただコウイチというひとりの人間について書き殴るようにした.じゃないとすぐ脱線しちゃうから…

 

パンフ済/Eternalは生で見てないので記憶が定かではない(2021.02.09)

 

コウイチの印象ってライバルによって左右されると思うのですが、コウイチとライバルの正気度がタツヤ相手だとコウイチの方が狂気(正気の失い方)に振り切れてた印象でした。

 あと,映画のパンフレットを読む前から勝手に「リカ以外はオーナーの元に集まった孤児で、小さい頃からNYという演劇の街に住んでいたことにより、ショーというモノが日常に浸透し、ショーに焦がれた子供たちで、コウイチはそこの長男的存在」だと思ってました。というか前どこかで言ってた…?

 

コウイチというスター

コウイチの周りにはライバルであるタツヤ、ヒロインであり少し他のカンパニーメンバーとは立場の違うリカ、母親的立ち位置のオーナー、そしてコシオカ、マツザキ、テラニシを初めとした仲間たちがいて

オーナーに「才能の原石」と言わしめるコウイチは,カンパニーのセンターに,先頭に立ち続けて引っ張って行く存在です.

 

オーナーの劇場時代(オフ)は特にそれが顕著で
オーナーの劇場でやってる演目(So feel it coming , The company , NEW HORIZON)って
歌ってるのコウイチばっかりで,ソロ持ってるのもコウイチだけなんですよね

「もう俺は次のショーを考えてる」というセリフからもコウイチがカンパニーの演目を決め,構想を練り,主演もコウイチ,ソロを歌うのもコウイチ…

いやすっごいコウイチ頼みじゃんこのカンパニー

言ってしまえば凄くコウイチありきのパフォーマンスで成り立っていて,コウイチはこの「自分ありきでショーが成り立っていること」に危機感を覚えていた,オンではこれは通用しなんじゃないかと心のどこかで思っていたのではないだろうか

コウイチだってオーナーから「オンへの誘い」が来たとき嬉しそうにしてるんですよ,だって憧れのオンですもん

けれどこの状態でオンに行ってしまってもし失敗というか悪評がついてしまったら,カンパニーのみんなの将来に取り返しのつかないものを与えてしまうのが分かっているから

だから1人オンに行くことを渋ってるんですよね

逆にカンパニーの人たち(タツヤ以外)は「コウイチがいるから大丈夫,コウイチについていけばいい(だからオンに行こう)」と思っているのが…

こう…

 

才能って圧倒的な光となって他の何もかもを見えなくするよね…

と実感します.コウイチを孤独にさせたのはその才能なんですよね.

 

 でも「オンに行ける!!」というカンパニーのみんなの喜んだ声を聞いて結局オンに行くことを選択するあたり,カンパニーの長男なんだな〜と思っちゃう 

ワーンまたひとつコウイチが不安を抱えながらも「みんなのために」選択をしてしまった,抱え込んでしまった…

 

コウイチにとってのオーナー

そんなコウイチが唯一ひとりの人間として少しだけでも心の内を話せるのが母親的存在であるオーナーなんですよね

コウイチはニューヨークの街でオーナーに「オンの先に何が見えるのか…実は俺にもまだよく分かっていません.でも大劇場に行くことが俺達のためになるならば俺も行こうと思います」

って言っているけど,これ正直にいうと

「このままオンに行くといいショーができるかどうか不安です.でも大劇場に行くことがみんなのためになるのならば,俺も行くべきだと思う」

というオーナーへ不安を明かしている,かつコウイチも自身に言い聞かせているセリフだと思います(コウイチが何かを宣言するシーンって他にないので)

 

あとコウイチって一番オーナーの前でひょうきんっぽさを出していると思う,多分母親でもあり舞台人としての先輩でもあるオーナーの前ではカッコつけたいんだろうな

だから一丁前に「オンの先に何が見えるのか…」って言ってるけど,普通にオーナーの劇場というホームを離れるのが怖かったんじゃないかと思います

 

ただオーナーも母親的存在というだけで,母親ではないし良い意味でも悪い意味でも舞台人なんですよね

 

オンでのコウイチ

インペリアルガーデンシアターでコウイチたちは半年もショーを続けてきて

その半年の間,コウイチはずっと「本当にここにいるのが正解なんだろうか,カンパニーの評判は下がってないだろうか」という不安や恐怖をひとりで抱え込んできたんじゃないだろうか

 

「ショーの評判」を気にするのは本来のコウイチのショーに対する姿勢に反することで,コウイチも心のどこかでそれが分かってはいたと思うけれど,自分が「オンに行ってもいい」と言い出した以上,カンパニー全体のことを考えなくてはならない

「ショーの評判」(失敗してはいけないということ)は気になるし,「ショーの評判を気にしてしまう自分」もコウイチにとっては嫌で,でもオーナーは前みたいにそばにずっといてくれるわけではないので,ずっとその不安や恐怖を誰に相談することもできずにまた1人で抱え込んで走り抜いていく…

 

そんな矢先にSolitary衣装もロクに着ることができず,ただ喚いてるだけのタツヤがステージ上に現れてしまう言い方悪すぎてごめんタツヤ…)

せっかくステージ上の誰もがタツヤのミスをカバーしようとして!!

それができそうだったのに!!

タツヤがステージに出てきてしまうことで!!!

このカンパニーが重大なミスをしてしまうカンパニーだと,そのアンガーマネジメントもできず自制することなく飛び出していく身勝手な人間がいるカンパニーだと…そういう印象がついてしまう…

 

「失敗しないこと」を気にしていて結構精神状態ギリギリのコウイチにとってはこんなの怒らざるを得ない状況だったと思う,それもそれをしたのがあの自分と切磋琢磨してきたタツヤということも本当は認めたくないほどショックだったかもしれない

だから「もういい…お前はステージに立つな」なんてあまりにもキツいセリフを,今まで共に走ってきたタツヤにとっては,自分が切り捨てられたと思ってしまう言葉を吐いてしまう

その後もオーナーが「私もブロードウェイにいた頃は私が全てだと思っていた…」とコウイチを嗜めるのに対して,コウイチは「オーナーの劇場と違ってここでは通用しないんです」「僕はここが自分の限界だとは思っていません!!」と返す

 

えっ…話噛み合ってなくない??

 

ここ,コウイチの焦りというか限界を迎えている象徴のシーンだと思います.

何でもかんでも否定的に捉えてしまうというか,批判されている被害者意識というかコウイチの余裕のなさを感じる

ここからコウイチは「周りが見えなくなったらおしまいよ」というせっかくの忠告も聞かずにJapanesqeへと向かっていく

 

そしてタツヤがラストでわざと刀をすっぽかし,模造刀と真剣をすり替えることで「わざとショーをストップさせる」という愚行に出る

 この行為,完全にコウイチに対してもだし,今まで信頼しきってショーを作ってきたカンパニー全員への裏切りですよね(だから愚行と言っていいと思っている,あの素敵なショーを壊したのはタツヤだから)

この時コウイチだけが「刀をすり替えたのはタツヤ」ということを知っていて,それを知ったコウイチのはまさに「激しい怒り」「感情の突き抜け」だったと思う

この時コウイチは

・絶対にショーを成功させなければならないという強迫観念

・あのタツヤが"わざと"ショーを止めようとした

・それも理由が"コウイチにギャフンと言わせたかった"という私情(ぎゃふんは少し違うかもしれないが)

に囚われていたんだろうな 

 

[狂気]という言葉はまさにこの刀を突きつけるシーンからのコウイチに似合うと思う.

コウイチはタツヤへの激しい怒りによって狂気となり,自分の命など度外視してショーを成功させようとする.

 

元々コウイチって命をショーに捧げてるエンターテイナーだとは思うんですよ.

カンパニー以外に帰るところもないし,ショー以外に打ち込むものものない.自らの命を,人生をエンターテイメントに捧げるものだと思っている.

でも人間って心のどこかで理性的に安全装置が働くじゃないですか,だけどこのタツヤの愚行によってコウイチの中での安全装置が切れることになってしまった.

文字通り,命よりもエンターテイメントをとってしまうことになった.

 

だからタツヤに切りつけられた後でも,タツヤを突き飛ばし血みどろになりながらセンターに立ち戻り「姫を悪党から守り抜いた」

 

この瞬間のコウイチ,多分世界でめちゃくちゃ幸せだったと思う.

なぜならば命という限界を超えてショーができたから.

 

(まあもっと生きてショーをしたいからdead or aliveにつながるのですが)

 

コウイチという孤独な男

 

コウイチは天才だし,スターなんですよ

カンパニーで絶対0番に立つのはコウイチ,タツヤだって文句は言わない

というかタツヤが一番,コウイチは自分たちとは違う天才で,どうあがいてもコウイチを超えることはできないという自覚がある

あの雨の日から,屋上でずっとダンスを踊ってるコウイチを見て,いつどんな時も努力し続けることのできる姿を見て,自分という凡人と天才の根本的な違いを知ってしまったのだと思う

 でもコウイチには,天才であるが故に価値観の根本的な違いがあることが見えてない

普通の人間は雨の日の屋上で踊り続けないし,ショーをしているときに過去は過去と捨て置いて次のショーのことを考えたりしない,そんな休息なしで走り続けることなんてできない

ショーに命をかけるまでの覚悟まで持たないし,本当にショーを優先したりしない.

 

この違いがあることを理解してなかったからカンパニーの中でついていけなくなったりする人が出てくる

カンパニーに対して「自分が走り続ける姿を見せることが大事だと思っていた」というあたり1幕当初までのコウイチは本当に

 

天才と凡人では視点が絶対的に異なる

 

ということを分かってもない

 

ただ本当にステージ上のコウイチって,カンパニーが「コウイチについていけば安心!」て思ってしまうような輝きがあるんですよね

Dancing On Broadwayでのあの圧倒的な0番感,一転Memory of Skyscrapersではひとりで引き込む,Solitaryイントロ流れる時とかはタツヤなんて悔しそうな顔をしてる

本当にコウイチって天才でありスターなんですよね,文字の通りみんなの星になっている

 

話変わって,実は私It's A Wonderful Dayのコウイチが一番好きです

あの演目,コウイチが生きてる間のSHOCK世界の中で唯一”コウイチがいるのにコウイチがセンターではない”場面があるんですよね(告白シーンの時だけど)

あの後でタツヤとリカを見ながらコシオカたちとダンスだけしてるのほほんとしたコウイチ見てると涙が…

コウイチのこと散々孤高の天才,狂気だなんだ言ってきましたけど,コウイチの根本ってこう

みんなと歌って踊って,それが楽しくて,ちょっとおちゃらけることもあるいいお兄ちゃんだったんだろうなと

 

でもリカがタツヤを断ってコウイチが前に出てきた瞬間,その全身から迸るスター性に目が言ってしまうので,コウイチがコウイチという天才である限り,あの悲劇が覆ることはないのだろうと思ってしまう

 

こんな天才であるが故に孤独なお兄ちゃん,誰が推せずにいられるかって感じですよ.

2幕からのコウイチとか,リカのことも書きたいんだけど,そろそろ時数が5,000字いくので一旦この辺で

 

以下勝手な私の持論ですが

その分野における天才というのは,その分野が好きでたまらずずっと研究し続ける,努力ができる人たちのことを言っていると思います.妥協もせずにただただ積み上げることのできる人たち.

人間が一度にできることには限りがあるので,一見ある一時点で天才と凡人がやってることを比べたら大差はないように見える.でもそれをし続けることができるのが天才なんですよね.

簡単なことで例えたら筋トレとか勉強時間とか(時間だけでは測れないけど)

一つ一つは誰もができることだけれど天才たちはずっとやり続けるので,いつの間にか絶対量の差が生まれていくんですよね.

そして積み上げたものの分だけ視点は高くなっていくし考え方も凡人のソレとは離れていく.

価値観も思考回路も,高さが同じでないと同じものは見えないと思います.