Twitterというツールを使ってかれこれ10年以上ネットに自分の言葉をすぐ放出している。使い方は人それぞれだと思うけど、私の使い方は概ね本当に「呟き」で自己理解を深めるという感じになってきた。
感情的になったらすぐTwitterを開いて言語化してツイートするとやや客観視できるような気がするし、そうやって自分はこういうタイプだ、とか自分は今ここに悶々としているんだ、とか、いわゆる分析ツールになっている気がする。このアカウントは私の中では珍しくコミュニティを絞る形をとっているけれど例外ではない。
このアカウントを続けて得たものは一つは自分は感情的な記憶をすぐなくすこと、そしてもう一つは多分そこまで感情が昂るタイプのオタクではないということだった。
例えば「〇〇って言っていて□□って思った。絶対忘れない!」と言ってても現金なことに半年後には◯◯は覚えていても□□は忘れている。これは先ほど書いたそこまで感情が昂るタイプのオタクではないということにも通じている気がする。
次に感情が昂るタイプのオタクではないという認識について。これは〇〇してて最高!!ととても素敵な反応を返せる人々が羨ましい一方で、最近は自分はそういうタイプの人にはなれず「斜にかまオタク」スタイルであり続けていそうという認識がある。
でもこんな「斜にかまオタク」でも心がたぎる瞬間というものはあるもので、そしてそれを忘れたくないのでできるだけTwitterの方に残しておきたいですね。年に一番心が躍る4日間を終えての感想でした。
ところで
前は現時点より前の話、例えば20年以上前の自分が知らずにエピソードとして知っていた話…はあまりしないけど、数年前の自分が体験した話は度々していたし振り返っていたような記憶がある。しかしいつからかそういう過去エピに全く見向きしなくなった気がする。きっかけはいつだったか忘れたけど多分25周年フィーバーに入るよりもちょっと前だった気がするな。そのあたり、思い出したらなんらかの形で残したいかな。