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雨の打つ音が好き

Pineappleを踊る"V6"の長野博さんが好きになったのにあと5日しかない

2021.10.27

 

ああああああ錯乱している

 

アマプラでV6のコンサートが配信されてたのでフォエバコンまでしか知らないしトニフィフコンを見ました。

見ちゃった。

 

普通にMCくらいまでは解散のことも忘れて見てたんだけどall for youの剛健シンメで、ああ本当にこの2人はjr時代から2人で踊ってきたんだなあって

2人にだけある独特な繋がりというか、ここの2人だけでひとつとして完成されてて空気が変わる感じ。絶対に引き離せない。全ての細かい動きにまで相手の存在があるのに、それは無意識的で身に染み付いてる感じ。1秒1秒が50+50や40+60、30+70、60+40と刻一刻とバランスは変わっているのに見えるものは常に100な感じ。

ああグループの中に存在し続ける幼い頃からのステージ生まれのシンメってこうだったなあ…って久しぶりに思った。

 

一番やばかったのはpineapple

pineappleは音源も持っててオフボーカルまでずっと聴き込むほどに好きなんだけれどMVはYouTube版しか見たことがなかった。

だから知らなかった。

2番のBメロの博パート「はなればなれだから 心に触れたい」の振りを。

なにあれ やばい

いや元々音源だけでも長野博の真骨頂だったんだけど。

 

あれを仰向けに寝転がる振りにした人は天才か???

離れば〜なぁ〜」で両腕を広げる博、「れだ〜から」で重ねた手を胸に引き寄せる博、「こころに〜ふれたい〜」で両腕を大切に引き寄せながら腹筋だけで起き上がる博

 

はあ…………

 

無理だった、両腕を広げて大切に包み込むような博があまりにも博だった、あの包容力が形としてそのまま出ていてさらに耳からはあのあっっまいハスキーな歌声が耳に溶け込んでくるの。

目に映る全て耳に入ってくる全てが長野博という人の概念の"長野博"だった。長野さんが全身から"長野博"という概念を発していた。長野博の源泉掛け流しだった。

こんなん泣くしかない。

 

なんで私がV6の中で博が好きなのか。これなんだよ、この博が好きなんだよ。

この母性というか(男だけど)包み込む優しさというかいやまあ母性だけど…そこが好き、聖母じゃん…(キリスト教全く知らないけど)

 

なんであと5日しかないこのタイミングで、私が知ってた長野くん(数年前)の全てを超えてくる究極の長野くんを知ってしまったの??

 

そもそも長野くんに対して別に担降りとかそういう意識があったわけでは全くなくて、ずっと思ってたけど私の中の博への好き方が特殊だったんだと思う。

色々あって(結婚とかでは断じてない)(断じてない)(違います)V6の活動を直接追うことはしてなかったというかわざと避けてたのだけれど、それでも私は長野博さんという概念をひっそりと推してた。

概念のヒロシナガノを推してたからこそ現実の長野くんを肉眼で見たいと思ったことは一度もなく、逆にずっと画面の向こう側の人でいて欲しいと思ってる。これは今でも同じ。

Vの活動は直接追いはしなくなったと書いたけれど、ライブとテレビや個人仕事を追ってなかっただけでCDはちゃんとチェックしてた。

 

でも今遠のいたことを非常に後悔している。

 

CDはチェックしてただけにGOLDの博がやばいのは知ってたしpineappleの博がやばいのも知ってた。雨の博も最初博パートが分からなくて別人みたいな声がしてて私の知らない博が視覚にも聴覚にもいて、ああこういう博が見たかったんだよ…と思ってた。

ここ数年の長野博パートが結構「私の好きな長野博(概念)」でやっと時代が長野博に追いついたんじゃん………遅いんだよ………!!などと思っていた。

ああでも本当にpineappleで手を広げる博が今までに見たことない博ではなくて博が博たる全てみたいな感じがして。

やっと時代が長野博に追いついたしそれによる相乗効果で長野さんのパフォーマンスが私が知っていた時を100とすると100000000000000くらい光っていた。

遅いよ……遅すぎた……私が長野くんの時代が来ていることに気づくのが遅すぎた。

だってあと5日しかないんだよ

 

GOLD初聴きでBパートの博で腰を抜かして蹲った、pineappleの Bパートの博の溢れるばかりの優しさと慈愛に耐えきれずに布団を叩いた。

なんでその時に現実の長野博さんを見なかったんだ、私よ。

 

昨晩あんなにpineappleの長野博を見て急に何にも表現できない感情が湧いてきたのか段々整理がついてきた。多分まず単純に私が追うのを避けていた数年間で長野くん、めちゃくちゃパフォーマーとして磨きがかかったんだと思う。私に見る目はないので分からないんですけれど。一つとしてめっっっっっちゃくちゃ歌が上手くなってた、これは分かった。でもなんかそれ以上の細かいところ、歌とかダンスとかそういう分かりやすいものではなくてそれを越えたなにかがあの時の長野さんから出ていた。

私の中にあった本人を直視することさえ避けるようなクソデカ概念の長野さんを、長野さん本人がパフォーマンスという形で現実に映してくれてそこにとても衝撃を受けたのだと思う。

あと5日しかないのにV6としての長野博さんのパフォーマンスに堕ちました。助けて。

 

もうあと5日しかV6というグループの中で優しさというパートを歌う長野博は見れない。歌番組も全部終わってしまったし6人で揃う姿をテレビで見ることはない。トニセンとしての長野博は見れるけれど、あのみんなで歌い繋ぐときにパッと空気がふんわりしてちょっと大気が薄いところに飛ぶような(ああ長野くんだな…)という感覚はあの6人でいる時でないと味わえない。

あと5日しかない。

なんで後5日しかないのにその魅力を再認識してしまったんだろう。

出来ることならばこれからも6人で歌い踊る様子を遠くから見守らせて欲しい。

でももうあと5日しかない。

 

*1

*2

 

 

*1:辛さを押し出さないというか耐え忍ぶ強さがものすごくあるところが好き。そしてその上にあの優しさがある。

*2:これは魚拓です